新水IBUKI通信 2016年 弥生 00049 号
初期からの「いぶき」愛飲者の方より……
編集担当事務局
一通のFAXが「年末の片付けで発見しました」の添え書きと共に届きました。愛知県在住の増田正雄さんからでした。北海道の千歳市にも一時期、お住まいだった方で知る人ぞ知る出版社「地湧社」の設立者(1982年)です。学童疎開経験者ですが、今も心身ともに若く活躍中です。
送られてきたのは「湧」(1986年7月号)掲載の増田さんのエッセーでした。タイトルは「水感覚」。増田さんがいち早く「新水いぶき」に着目されたことが納得できる一文。では、全文を。*
近頃は、生活の中で手を加えた飲み物が多くなって、水を飲む機会が減っている。身のまわりにはありとあらゆる商品化された飲みものが氾濫し、食生活とともに飲み物のし好も大きく変化している。緑茶、紅茶、コーヒー、ウーロン茶、ジュース類、酒類、健康飲料など、多様化した飲料がなだれ込む。水だけで一日を過ごす人は、皆無ではなかろうか。
このように水と直接対話する習慣が少なくなるということは、水の質を維持していく上で、甚だ危険なことのように思えてならない。
地方から都市に出てきたら、都会の水が悪くて顔が洗えないと嘆く女子学生がいた。水がまずくて飲めないというのは分かるが、洗顔できないとは、少し過敏すぎるのではないかと思っていた。ところが、私自身がアメリカのカリフォルニアに旅したとき、そこの水はいやな違和感があって、入浴はおろかシャワーを浴びるのさえためらった。ワシントンでも同じ経験をした。そこに住む人は平気なのだろうが、慣れは恐ろしいものである。考えてみれば、私達日本人は、各地の温泉の味の違いを皮膚感覚で楽しんでいるし、同じ水であっても薪で沸かした湯は、肌に優しく気持がいいと言ってきた。
たしかに我々の感覚は鈍磨し、同時に良い水が次第に姿を消してゆく傾向にある。
私は、水の良し悪しを峻別選択するのに、先の女子学生のように皮膚感覚を起用することを提唱したい。舌先(味覚)だけの都合で、良い水が失われてゆくことがないように。
こんなスゴイ検事長さんもいらっしゃるのですね。
M・E (札幌市)
もう10年以上も昔のことになると思いますが、ある方を通じて札幌高検に赴任された方とお会いする機会を得たことがありました。
大通り公園に近い合同庁舎へ初めてでしたので、何かあらたまった気持ちで出向いたものです。確か、先方のお昼の時間帯を利用したフレンドリーな配慮があった気がしますが、それでも緊張していたのでしょう、話の内容はあまり思いだせません。
ただ、札幌に赴任されてきたその方が、北海道のことをいろいろと知ろうとされているのは分かりました。温和な口調で世間話をするような雰囲気なのですが、きっと、平凡きわまりない一主婦を通してでも地域のことについて多面的、多角的な理解をされる感性をお持ちのなのだろうなあと想像できました。*
そんな昔のことが急に蘇ってきたのは、高松高検の検事長が児童虐待防止に取り組まれているということを知ったからです。
私は法律のことはまったく分かりません! でも、話すこともできない赤ちゃんや幼児が虐待されているのを防ぐのはまわりの大人たちにしか出来ないことだと私でも簡単に理解できます。
その検事長さん、と無理なく「さん」を付けてしまいますが、「視覚障害者の伴走が休日の楽しみ。」というのですから、本当に根っこからの人権を守るお仕事に就かれているのですね。それは、お会いしていなくても記事から伝わってきます。
この方を大きく取り上げた「フロントランナー」という新聞記事は、朝日の昔風にいえば土曜版にあたるのでしょうけれど、今回のは2月6日の「be」でした。これは見逃せませんでした。健康を守ることも基本的人権ではないかと思ったからです。
そこで、です。お世辞ではありません、とお断りしますが「新水いぶき」も「健康を守る」意味で“人権派飲料”として「フロントランナー」では? と思っていることをお伝え申し上げます。
【編集】北海道良水(株) 「遠友いぶき・ひと花プロジェクト」
【バックナンバー】新水IBUKI通信