北海道良水株式会社

新水IBUKI通信 2013年 皐月 00015

「北海道保険医新聞」(2013年2月20日号)

札幌市厚別区にある「北央病院」(125病床)の坂牧純夫さんが、「北海道保険医新聞」の「読者のひろば」という欄に「新水いぶき」のことを書いてくださいました。
「雑感―食」というタイトルです。その中で「最近、北海道のお米が美味しい。最高と思うのは北広島市高島ファームの田園交響楽。ゆめぴりかだが農協に入っていないのでそのブランド名が使えない。このお米を新水いぶき」で炊くという話題の展開でした。「ゆめぴりか」という名称が使えないという業界?の何か約束事があるようです。
それはそれとして料理と「新水いぶき」の相性の良さは、知る人ぞ知るところです。その知る人たちが、クチコミで仲間を増やして1年半近くになろうとしています。これからも「良いもの」を伝えていく愉しみを多くの人たちと共有したいものです。 <編集室>

「体から出て来る音楽」(佐渡裕氏)をヒントに

<札幌市・H氏(72歳)よりいただきました>
『マグナカルタ』という季刊誌を教えられました。3月末に第2号が出ました。
その中に「叩き上げの指揮者 佐渡裕」というタイトルで元『週刊朝日』編集長の川村二郎さん(1941年~)が寄稿された読み物があります。川村さんは同誌で佐渡裕さんという指揮者を東京芸大学長が話された人物評で締めくくっています。 「日本ではクラシック音楽というと、神棚に上げてありがたがるところがあるでしょ。佐渡さんは、そんなところが全くない。自分のことを『叩き上げ』なんていう指揮者は、ほかにいないのではないでしょうか。とにかくあの人は、音楽も言葉も、頭からではなくて、体から出て来る。だから聞く人の心をつかむのだと思います」(同誌149頁) わざわざ、これをご紹介させてもらったのは、「新水いぶき」もまた【頭から】ではなく【地球】というさらには「札幌」という地名のある【体】から出てきていることに共通点を感じたからです。
私たちの目の前に溢れる飲料水には、【頭から】考えだされた成分調整・味付け・殺菌・濾過などの加工技術を駆使した多種多様な商品となっていることは、多くの方々が承知されていると思います。
そんな時に札幌を取り囲む自然環境がもたらした天然の地下水をシンプルに汲みだしたままを充填した「新水いぶき」は、佐渡さんの音楽と同じようなインパクトを持っていると感じたからです。

私のまわりでの話ですが、仮にお世辞の部分を割り引いても、「新水いぶき」の味を知ってしまった近所の方々は、一様に「あの美味しい水」と日常の挨拶の中に感想の言葉が混じります。つまり、「飲む人の心をつかんでいる」から能書きは必要なくなっています。コマーシャルなどで「水」を「頭」で理解して飲んでいる限りは、このような感想にはならないでしょう。きっと。
固有名称である「新水いぶき」は、これから普通名詞になって行くと思いますが、「原産地・札幌」でも「取水地・札幌」でも良いのですが、札幌市民として“良いものがある”街のイメージが「新水いぶき」によっても高まることを願っています。

奥井海生堂~~名寄市・新水いぶきファン

オハズカシイ・ハナシですが、福井県敦賀市にある「昆布屋」さんの名称であることを最近知りました。
和食に関心がある方だと自分ではおもっていましたが、奥井海生堂さんも知らない程度ですから、その水準は推して知るべしです。
ここは創業明治4年(1871年)永平寺ほかの御用達昆布処という古さですが、原材料は北海道産。「和食」と「水」を探って見えてきた「昆布」のお話を少し紹介させてもらいます。この通信の2号目でも和食の名店と「新水いぶき」の結び目を紹介させていただいてもおりますので、おそまきながら。 「北前船」で北海道から運ばれた昆布が、京都、大阪、薩摩、琉球、中国にまで広がった歴史的な事実は、良港だった敦賀が昆布中継地として最大だったこととも結びつきます。さらには、幕末の薩摩藩の資金には、琉球を中継にした昆布貿易の儲けもあったと言われるほどだからこそ、「昆布ロード」の言葉も残っているのでしょう。 敦賀には、現代でも「おぼろ昆布職人」の半分以上がいるそうです。利尻昆布が京料理で愛用され、かぶらの千枚漬にも不可欠と、北海道産食材の活躍の歴史は長いのです。ここに「新水いぶき」も新人として書き加えられる日が近い……と思っています。

【編集】北海道良水(株) 「遠友いぶき・ひと花プロジェクト」

【バックナンバー】新水IBUKI通信

 前号へ戻る次号へ進む