北海道良水株式会社

新水IBUKI通信 2013年 葉月 00018

【みずばち】

7月2日付けの「天声人語」の冒頭にこの言葉「みずばち」があり、夏到来の季節だからと、粗忽にも「水鉢」をイメージしました。ところが、次の文章を読むと「水罰」ということが分かり、そそかっしい自分を恥じた次第です。
すでに読んだ方には、退屈な紹介になりますが、昔、水を雑に扱うことを戒める大人が「おまえに水がこしらえられるか」と続く節水の夏への心構えを説くものでした。そこは「天声人語」ですので、節水⇒節電⇒と論は進みますが、この「新水通信」では「新水いぶき」に即したお話に“舵を切りたい”と思います。

「水はこしらえることができない」もので「天地自然のおかげさま」という気持ちは、「新水いぶき」を飲む度に思う人が少なからずいらっしゃるものと思います。
たまたま、この水を発見(と言うのが良いのかどうか)した「北海道良水(株)」の新藤社長から直接、採水プロセス、商品化の苦労話などをお聞きしたこともあり、なおのこと、天地自然が与えてくれた「水」への思いが強くなっていることは確かで思い入れが強いことを事前にお断りいたします。

「水」ですので科学的に、化学的に「エッチ・ツウ・オー」で水はデキテイル、と納得している人は多いと思います。私もそうでした。それで間違いはないのでしょうけれど、生きている人間が体内に取り入れるのは、それだけでいいの? という素朴な小さな疑問は微かに残っていました。
その僅かな隙間を衝くように、世の中では、体に良さそうといわれているミネラル成分の豊富さを売り文句にたくさんの「水」がブランド化され、お店にあふれるようにして売られています。飲料用と工業製品の製造過程で使用される純度の高い水とは区別されて当然だと思いますが、「水」にも各種多様な分類があります。

ここからです。「新水いぶき」を飲み続けている方から、以下のような事が伝えられてきました。……これを強調すると「変わり者扱い」ならまだしも「変人扱い」になりかねません。でも、「新水いぶき」愛飲の皆様とは通じ合えるでしょうからお知らせします……と。


以下の最近読んだ本『霊の発見』学研M文庫(五木寛之+鎌田東二という今も売れっ子の作家と京大教授の対談本)です。タイトルがキワモノみたいですが、内容「新水通信」編集室に伝えても良いだろうと思いました……とありました。ご紹介いたします。*************
【五木】(略)霊的な気づきというか、注意してそれに意識を集中していると、そのことに、ちゃんと向こうから信号を送ってくる。
【鎌田】だいたいにおいて、直感は、まちがわないことのほうが、多いような気がします。
【五木】多いですね。私もほんとうに、そう思います。
【鎌田】パッと、ほんとにつかんだものというのは、非常にクリアなものが多いんです。あとでいろいろな意味づけをして、迷いが出てきたりして、その迷いに従うと、まちがっていたことが多いんです。
【五木】まちがったことになる。直感を邪魔するものは、インフォメーションでしょう。情報。
【鎌田】そうですね。
【五木】はじめ、さてこの人物は、と首をひねったのに、その人についての立派な経歴などを聞いて、ああ、たいした人物だから、一緒に仕事してもいいかなと思ったときは、だいたい後悔することが多いんですね(笑)。
【鎌田】非常によくわかります。
【五木】では、どうすれば、自分の直感を曇らせずに育てられるかが問題です。
【鎌田】ぼくは、そのために、朝日に手をあわすとか、きれいな水を飲むとか、森に行くとか、いい空気を吸うとか、根本は、そういう日常生活の中の、小さなことが魂を浄化すると考えています。(強調下線は当方の作業)**************
ついでながら、この方、次のようなことも教えて下さいました。有名な写真家・土門拳さん(1909~1990)のセリフだそうです。
「やる気は目に出る、知性は声に出る、生活態度は顔に出る」。こちらに「欲得」が無ければ、人を判断するのは割りと簡単なような気がします……ということでした。「欲得」と「直感」は、相性がかなり悪いのかもしれませんね。

【編集】北海道良水(株) 「遠友いぶき・ひと花プロジェクト」

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