新水IBUKI通信 2021年 皐月 00111号
コーヒーに学ぶ歴史余話<歓談記録です。>
J.N(留萌市在住)
「新水IBUKI通信」の前号で「コーヒー」にチョッピリ触れて、人間の歴史と現代の先端技術までお話が飛んでいましたね。
「新水いぶき」で淹れたコーヒーだから気持ちよく話が弾んだのだな~と思いながら読ませてもらいました。
それに影響を受けた、と正直に申し上げますが、やはり「新水いぶき」を使ったコーヒーを飲んで身の回りの整理をしていた時です。
段ボール箱の中で雑紙と一緒になってしまっている紙束の一番上に、ハガキより一回り小さいサイズの冊子が挟まれていました。
タイトルが『コーヒー北海道史』というものでした。著者は、北海道をこえて活躍されていた更科源蔵さんという詩人さんでした。
表紙のタイトル下には、「第一回コーヒー祭 記念出版」とありました。
最終頁の奥付け部分には、「昭和三十一年九月十日印刷、昭和三十一年九月十五日発行」「(非売品)」とあって、著者紹介として、1904年北海道弟子屈町に生る、住所・札幌市双子山町504、北海道文化賞(第三回)受賞、主著……などの記載がありました。
そのような方が「コーヒー」の北海道における歴史を紐解いてくれていたのです。
昭和31年、西暦でいえば1956年です。
コーヒーが、今の時代よりもズーットおしゃれだった頃でしょうね。
そのおしゃれな飲み物の北海道デビューは、江戸末期、明治初期という時代転換の渦中にあった時のようです。
更科さんの解説の冒頭部分は
……初めて北海道でコーヒーを用ひられたといふのは、約百年前の安政三年に遡るといふのだから古い話だ。
当時神奈川条約に基いて函館が開港になり、黒船が函館にやつて来ると同時に、樺太ではロシアの侵略があつた為に、幕府は奥羽六藩(仙台、秋田、庄内、南部、津軽、会津)に命じて北海道の警備に当たらした。………
さらに読み進めると、これより50年も前に津軽藩は千島の択捉でのロシアとの問題で斜里に百人規模の警備にあたった、とありました。
文字通り、江戸時代のことですね。
そして、この時の津軽藩士は浮腫病で多くが亡くなった辛い体験から、浮腫病の予防にコーヒーを警備にあたった藩士に配布したそうです。
北海道のコーヒー歴史が教えてくれる辛い史実なのでしょう。
同時に更科さんは「和蘭豆」「和コーヒー豆」と呼ばれていたことから当時、函館に入港していた和蘭船、イギリス船に聞いて入手したのでは?と推察されていました。
「蘭」と一文字から「オランダ」という国と日本の関係をどの程度まで理解しているかは、大人度合いを知る計測器になるかも知れませんね。
とにもかくにも、苦味を伴う美味しいコーヒーって、子供には分かり難い飲み物かもしれませんが、昔の大人たちは、「コーヒー祭」などという事をやっていたことを伝えてくれる小冊子でした。
それを発行していたのは、和田義雄さんという方で発行所は札幌食品工業株式会社(札幌市南3条西6丁目)というところであることは、奥付の記載から分かります。
和田さんという方、有名だった喫茶店経営もされていた方だったと思いますが、こうした文化的な活動にも随分とエネルギーを注がれていたようです。
「お水」と「コーヒー」と「札幌?北海道?奥羽6藩?オランダ?」繋がりからも歴史にも香りがあるのかも知れませんね。
【編集】北海道良水(株) 「遠友いぶき・ひと花プロジェクト」
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