新水IBUKI通信 2021年 長月 00115号
華麗と加齢と…
M.Y (旭川市)
先日、札幌に出向いた際に昔のお仲間さん達5人と少しだけお会いしました。
「美味しいコーヒー」というお誘いの言葉に気軽に応じた次第です。
飲むときは、大っぴらにマスクを外せる!という小さな喜び付きだったとも言えます。
美味しく淹れていただいたコーヒーに十分満足していましたが、余韻にいつまでも浸りがちな高齢者集団に帰宅の際の気持ち切り替えを促進するためでしょうか?
場を提供してくれたKさんが、「このお水は、地元産の天然水なんですよ!」と言って、グラスに注いでくれました。
道産子ながら首都圏で長く生活しているYさんに「いつか故郷に戻って来てね。」の気持ちが混じっていたかも知れません。
この日の仲間たちで盛り上がった話題に蝦夷地関係のものがあったのも影響していたのでしょうか?
それは伊能忠敬(いのう・ただたか)についての江戸時代にサカノボルものでした。
名前だけは知っていましたが、今の北海道、当時は蝦夷地だったところを測量した人物が、1745年に今の千葉県に生まれて、6歳で母親を亡くして……との苦労話を紹介しつつ、18歳で地元の酒造家の婿養子になって、家業のかたわら現在の天文学である「暦学」を独学で学んでいたことなど全く知りませんでした。
そして、51歳で隠居して「暦学」を本格的に学ぶために単身で江戸に向かって、19歳も年下の師匠に弟子入りした、というのです。
自宅に天文観察のために観測所も設置しながら星の観察もしていたそうです。
地球が球体であることは、オランダの書物で知っていても、「子午線1度の距離」を実測した例は日本になかったことなどから、江戸から蝦夷地(北海道)ぐらいを歩いて……と思い立ったようです。
すごい好奇心ですね。
現代の感覚であれば、鉄道も高速道路もない時代に!というだけでもスゴイですが、当時の蝦夷地は幕府直轄地です。
つまり、勝手に計測しながら見知らぬ土地を歩き回るなんて許されない時代だったのです。
ところが、この時代、江戸幕府はすでにロシアの脅威が迫っていたことを認識していたようです。幕府としても蝦夷地の正確な地図が必要だった事情もあってでしょうか、1800年に計測の許可が出たそうです。
ここから56歳の忠敬の17年近い全国測量が始まった!というのですから、凄いパワーと知的好奇心の持ち主だったのですね。
蝦夷地に向かうために津軽半島の最北端に行き、そこから蝦夷地に……となります。津軽海峡を渡って、5月末に函館を出発して、9月に津軽に戻ったそうです。
そして、12月には地図を幕府に提出、というのですから今風に言えば、凄い仕事人ですね。
単なる探検家ではないのです。
56歳からの探検家、というだけでも凄い人物ですが、それを「地図」に仕上げるという知的レベルも凄いですね。
友人のYさんが言いました。
“華麗なる加齢”探検家
隠居生活を準備するばかりが、賢い人生設計とは言えないのかも知れません。
「100歳人生」が珍しくない今の時代ですので、過去の知見からだけで、スマートぶって現役引退を理想に掲げるのは、少々、怠け者街道をトボトボ歩こうとする姿を隠すことに通じているのかも?そんな事を気付かせてくれる「伊能忠敬」でした。
有名私立高校から親の転勤のために道内の公立高校に転入してきたYさんは、半世紀経っても、級友たちに新鮮でパワフルな情報を提供してくれていました。
それに応じるかのように「新水いぶき」を提供したKさんもお見事でした。
【編集】北海道良水(株) 「遠友いぶき・ひと花プロジェクト」
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